もの置き

てきとうに色々書きます

レッドログNo.2(20/03/10)

 早速ではあるが、書くことがない。毎日2〜3個のコンテンツを、感想が書けるレベルで噛み下しながら摂取するというのは、なかなかどうして難しい所業である。昨日調子に乗って4つも使っちゃったのまずったなあと思いつつも、とりあえず探り探りで進めていこうと思う。

 とは言え今日は何もコンテンツ摂取していない以上、その路線で何かを書くことはできない。2日目にして趣旨脱線するのもどうかとは思いつつ、今日はバイト中になんとなく考えていたことをまとめることとする。



 面白い文章、というものについてである。

 文章とは小説だったり随筆だったり解説文だったり論文だったりするわけだが、今回は特に随筆・解説文の「面白さ」についての話だ。
 元々おぼろげに頭の中にあった考えではあったのだが、昨日のレッドログを読み返しながらよりはっきりとした形を持って認識したことがある。

 それは、「面白い文章」とは「面白い飛躍」を持っているということである。

 昨日のブログを例に挙げるとするならば、ここの部分だ。

 んで、まあバリバリの「お仕事モノ」って感じではないんだけど、まがりなりにも美術系専門学校が舞台の作品なので、やっぱり含蓄ある教訓があったりするわけで。作中に出てきた言葉のなかに、「いいか? 絵は筋肉と同じなんだよ」というのがあったんよね。
 当たり前だけどこれ文章も同じだよねって。「一日一回しか腹筋しないのに腹筋バキバキに割れると思うか?」って言われて俺の心がバキバキになった。一日一回どころか一週間に一回も書いてねえんだわこれ。やべえ。というわけでこの文章は腹筋です。

 「この文章は筋肉です。」という一文は単体を抜き出せば論理的に破綻し倒している。文章は筋肉ではない。当たり前の話だ。
 しかし、同様の表現である「絵は筋肉と同じ」・「一日一回しか腹筋しないのに腹筋バキバキに割れると思うか?」というタネ明かしが事前になされていることによって、この飛躍は類推が可能になる。「筋肉=毎日ちょっとずつ脳の一部分や体を動かすことによって徐々に鍛えられていく技能を指し示した比喩」であるということがわかるのだ。

 今回は引用が主体だったので事前に飛躍の道筋をおいてからの展開だったが、解説文などであれば前後関係を逆にする手法も有効である。

 ともかく、面白い文章というのはこのような「類推可能な飛躍」ということを、少なからず持っているのだ。オタクがよく使う「○○は××だから実質□□」というような表現はまさにこの典型例であると言えよう。

 基本的に、解説文というのは「カタ」が決まっており、構成のレベルでこれを崩して面白くするのは難しい。伝えたいことを確実に伝えるためには不要な文章を差し挟む余地もあまりなく、油断するとひたすら理屈から外れない文章を垂れ流し続けるだけの、なんとも単調な文章になってしまう。そこで有用なのが、飛躍だ。ダラッとした文章が続くなかで、唐突に論理の飛躍が挿入されると、テンポが崩されて文章にメリハリが生まれる。

 もちろん、文頭でガツンと飛躍をかましてあとにその解説を入れてもいい。論理が飛躍すれば、隠された行間を知りたくなるのが人情というものだ。単に情報を頭の中に詰め込むだけではなく、理解しようという頭になって読むから、読者はその後の文章の展開に引き込まれる。これができているかいないかで、随筆や解説文の面白さはまるっきり変わると言ってもいい。
 
 比喩の有効性というのは単に「伝わりやすさ」という部分よりもむしろこちらにあるのではないかと思うのだ。比喩は、えてして飛躍するものであるから。


 作詞家としても有名なアイドルプロデューサーの秋元康氏は、かつてAKB48の楽曲のタイトルについてこのようなことを言っていたらしい。

「曲のタイトルは変なのがいいんですよ。『なんだこれ?』って思ってもらって、興味を引く。これが大事なんです」

 一応調べたものの、ソースが出てこなかったので引用ではなく聞いたことの意訳に近い形であることは容赦してほしい。ともかく、これもまた一種の「飛躍」であることはもうわかってもらえるだろう。一見すると意味がわからない文字列は、人間の目を引くのだ。


 ただ、うまい飛躍を書くのは、難しい。意味がわからないと興味を引かれるのが人間だが、意味がわからなすぎたら萎えるのも人間だ。「ある程度行間を想像できて、だけども完全にはわかりづらい」というラインを探らなくてはならない。これは、そこに至るまでにどれだけ伏線を張ったかとか、飛躍した先に持ち出してきた言葉がどれだけ周知されているものなのかとかで調整が可能である。調整可能なのだから、そこにはモロに腕が出るわけである。

 例えばの話だけども、「デュエマって実質ミナミノコアリクイだよね〜」と言われても、興味を引かれる人間はおそらくそう多くない。「ミナミノコアリクイ」に関するイメージが一般的に共有されていないからだ。こっからの書き方次第で面白くできるとは思うが、なかなかにハードモードなのではないかと思う。

 逆に、「ミナミノコアリクイって実質デュエマだよね〜」は、フックになりうる。「デュエマ」は「ミナミノコアリクイ」に比べてイメージが広く共有されており、また、包括する概念が広範であるために、想像の余地が大きいのだ。

 加えて、このような論理の飛躍を持ち出す場合は、往々にして飛躍元の方を説明するために飛躍を持ち出すわけであるから、飛躍した先がわかりにくければ何かを説明する文章としては下の下なわけである。基本的に、飛躍先は飛躍元と同等か、それ以上にイメージが共有されたものであることが望ましい、と個人的には思う。


 というわけで、今日のレッドログは「面白い文章には面白い飛躍が隠れているよ」、というお話だった。俺もこの辺りの筋肉はまだ仕上がっていないので、メタゲーム・ウォッチングはもちろん、レッドログを書く中でも意識して鍛えていきたいと思う。
 絵も、文章も、筋肉も。意識してトレーニングしなければ身にならないのは、何事も一緒だからね。