もの置き

てきとうに色々書きます

「失った感情を取り戻す物語」……なのか? 〜「WE ARE LITTLE ZOMBIES」を見た【ネタバレあり】

 見ました。

 正直特に今日見る予定はなかったんですよ。
 叡山電鉄のまちカドまぞくコラボ車両見て適当に帰る予定だったんですけど、オススメされたラーメン屋がちょっと遅い時間からしか空いてなくて、仕方ないし出町柳あたりブラつくか〜って商店街をとことこ歩いてたらなんかいい感じの本屋? 喫茶店? みたいなとこがあって。出町座っていうとこなんですけど。

demachiza.com

 そこでちょうどいい時間にやってて、友達がガッツリオススメしてる作品だったので「これも巡り合わせかな」と思って見ることにしたんですよ。

 まあボコボコにされましたね。心を。
 感情を素手でぽこぽこ殴りつけてくるわかりやすい感じのやつじゃなくて、結構考えながら見るところの多い作品ではあったんですけど、「エモい」作品だったのは間違いないです。

 予防線を張っておくと、僕は新作旧作含めあまり映画を見る方ではなく、今年入ってから見た作品も「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」「アラジン」「天気の子」だけという典型的なオタクです。
 こういう大劇場であまり上映されないタイプの作品を見るのは2015年の「味園ユニバース」以来じゃないかな。あちらは関ジャニ∞のファンだったという動機がありましたが。

 まああんまり身の上話をしてもアレなんで、続きからネタバレを交えた感想に入ります。





 まず軽くストーリーをさらっておくと、「火葬場で出会った、全員が全員『両親を同時に亡くした』4人の少年少女たちがバンドを組んでいろいろやる」って話なんですけど、ここに視点的には大部分で主人公を務めるヒカリくんが常にプレイしているRPGの要素を交えてくるので一筋縄のストーリーでは掴みにくい構成になっています。

 まず8bitミュージックにドット絵アニメーションのOP、ここは深く考えずとも最高。めちゃくちゃ良くて感動しました。OPは振り返って思い出すとかなり重要アイテムのオンパレードだった気がするのでまた見たい。

 次にゲーム的要素を色濃く反映しているのはメンバーそれぞれの事情が明かされるオムニバス形式の章構成で、個人的には一番好きだったパートでもあります。頭とお尻のインタビューパートはゾンビ的側面を演出しつつも様々な寓意を含み、それでいてユーモラス。特にイシくんのパートが好きでした。

 俯瞰視点や効果音、突然カットインされるミニゲームパートなど、ありとあらゆる手法でゲーム的表現を試みるのはあまり映画を見ない僕にとってはどれも新鮮でおもしろい。


 余談。これはゲーム的な演出という部分以外にも言えることですが、これまで見てきた映画、いわゆる「売れ線」のものとは違ってかなり意欲的なカメラワークが数多く見られたのは印象的でしたね。僕の経験の浅さが出てる感じはある。


 廃品を集めてのバンドデビュー、人気の大爆発、突然の解散。

 ここの展開は怒涛のひとことです。この間、彼らの感情描写はかなり削られ(もちろん節々から読み取れるものはありますが)ていた印象があり、宙ぶらりんになった彼らと対比するかのようにこのパートで濃く描かれるのは、自分の利を何よりも先に考える「ズルい」大人たちと、人気者になった途端に手のひらを返すように熱狂する彼らの(特にヒカリくんの)周囲の子どもたち、そして暴走する悪意なき民意。

 自殺騒ぎにまで発展してもなお、解散の理由は「彼らの意思」ではなく「大人の事情」。

 その後はそれぞれの生活に戻っていく……かと思いきや、彼らは線路を駆け抜けヒカリくんの「思い残し」へ向かっていきます。月並みだけど思い出してしましたよね、スタンドバイミー。呪縛的ですらある。

 徒歩じゃ無理だからゴミ収集車奪って運転〜ってシーンはさすがに目ん玉飛び出ましたけどね。自家用車ならともかく中学生がゴミ収集車て。


 おそらく心情的にはクライマックスとなるのが、この次に迎えるトンネルのシーン。ひとめで「現実じゃねえな」とわかる抽象的な、まるで胎内のような空間。車に絡みつく触手のようなものはあたかもヒカリくん出生の際に彼の首に巻きついていた臍の緒のようで。
 このシーンから感じ取れることは、「結局のところヒカリくんは両親の死を正しい意味で受け入れられていなかった」ということに尽きましょう。ナカマたちからの叱咤を糧に臍の緒を模した触手の束縛から抜け出したのは明らかにこの問題の解決を暗喩しています。その後に「やっぱり事故現場は見なくていい」という台詞まで添える丁寧さ。なんかバカにしてるような感じ出てきましたけど僕としては称賛の言葉のつもりですよ。

 その後、先の見えない草むらの中それぞれの道を歩いていくシーンが入り、エンドロール。鯨幕の引いた先には、プロローグで虎を幻視していたヒカリくんの姿が。
 このEDについてはかなり解釈の幅がありますが、一見のところではわかりやすく「これら全部ヒカリくんの空想でした」というのが妥当なのかなと思ってます。それでいいのか? と思ってしまう心は僕の中で否定できませんが、冷静に考えていろいろ無茶しすぎだったもの。もちろん全部現実でもそれはそれでアリ。
 ここばっかりはちょっと繰り返し見ないと結論が固まりそうにないです。


 さて、一部では結構話題になったこともあってそこそこの数の感想・批評が上がっていましたが、この作品を総括するにあたり、「失った感情を取り戻す物語」という言葉を散見します。ですが、僕は率直に言ってその表現がしっくりきていない。だってイシくん言ってたじゃないですか。

「あったんだよ、感情」って。

「ゾンビにもあるかもしれないしね、感情」って。

 ちょっと一字一句あってる自信がないので引用符は打てないんですが。

 この作品最大のテーマは、つまるところ「他人の感情なんてわからない」っていう部分にあるんだと思うんです。

 「ズルい」と評されていた大人たちにもそれぞれの人生がある。元マネージャーだった男も言っていました。「俺の人生なんだから」って。それはその通りだと思います。彼らに自分の人生をよくしようという意図はあり、それがLITTLE ZOMBIESの感情をないがしろにする結果になったとしても、子どもたちを搾取しよう、苦しめようという悪意はほとんどありません。
 彼らは紛れもなく人間です。ありのまま等身大の人間だったと思います。

 一度に母親と父親を亡くした四人の気持ちは誰にもわかりません。僕にだってわからない。
 一見すると「汚い大人とそうでない子どもの対比」であるかのようにデフォルメされていますが、何も大人に限った話ではなく、LITTLE ZOMBIESに熱狂していた子どもたちだってそうだし、逆に彼らにだって大人の気持ちはわかっちゃいません。

 誰だって他人の気持ちなんかわかりっこない。それぞれの人生なんです。誰からも理解されずとも、自分の道を生きていくしかない。そこに、ちょっとだけ気持ちを分けあえるナカマがいればそれはとっても幸せなことだよね、っていう、そういう話なんじゃないかと僕は感じました。


 劇中でヒカリくんが涙を流したのは2回。ホテルで夢を見ていた時と、イクコに重ねた母が消えていった時。「行かないで、ママ!」と涙した彼の気持ちが本心でなかったとはとても思えません。
 理屈の上で「僕は愛されていなかった、だから涙を流さなかったんだ」と自分を納得させたところで、感情そのものが消えて無くなるわけではありません。

 感情はあった。ただ理解ができていなかった。それを飲み込んだ上で涙を流せるようになったヒカリくんは、きっとこれから自分の幸せを自分で選べる「強い男」になっていくことでしょう。


 僕はこの作品を「失った感情を取り戻す物語」ではなく、「凍っていた感情が溶けていく物語」だったと思っているのです。凍っていたのは両親が死んだときではありません。もっともっと前からです。むしろ両親の死はそれを溶かすきっかけであった。

 意味合いは似通っているようにみえるけど、「失った」と「凍っていた」ではわけが違う。後者は「それでもなおそこにあるもの」ですからね。それに、感情なんて失くせるもんじゃありません。感情を失くすことができたとしたらこの作品は成立しなかったと思いますし。


 映画IQの低い僕には少しレベルの高い映画ではありましたが、貴重な休日にこの作品に出会えて満足した1日でした。こういう巡り合わせがあるから人生って面白いね。おしまい。