もの置き

てきとうに色々書きます

ブレイカーハーツの話をします

freegame-mugen.jp

 ネタバレあるよ(攻略情報に関するネタバレは一切ないです)

 あとめちゃくちゃ散文です。何言ってるかあんまりわかんないし取り留めなく思ったことを書くのでそういうていで見てください。




 まず初めに結論から書くんだけど、僕にとって「ブレイカーハーツは最初から最後までゲームだった」し、全てを知ってなおそのスタンスで正解だったんだなあと改めて感じた。

 同じラインに立ってないんだよね。でもそれでいいんだと思う。

 戦闘不能を割り切って進めることに対して自虐的に「ひでえ戦術だなあ」と思うことはあっても実際に戦闘不能を出すことや覚醒・暴走に対して心を痛めることは一切なかった。むしろバンバン使ってた。ゲームなので。

 この辺は、こう、移入の度合いというか、割り切り具合というか、なんかそういうものなんだと思う。現実だと真逆の思想なのはたぶん反動。

 そして、そうであることが悪いことだとも、やっぱり思わないんだよねえ。

 これはトライナリーの時とは全く違う心の挙動で、最初からこのスタンスで向かい合っていたのは「トライナリーフォロワー」を自認しつつも明確にゲーム性の差異として現れているのを、無意識下で読み取ったんだろうなぁと思う。

 これトライナリーっぽい皮をかぶってるものの、実際にはRPGの形をしたALTER EGOなんですよね。この辺の話はちょっとめんどくさくなりすぎるからあんまり追わないんですけど。

 ナルの話。

 これは完全にトライナリープレイヤーをハメに行く仕様で、ココロを消費することがめちゃくちゃ危険なように見せかけて実際のところ「ショップを未使用であること」の意味があんまりないのはまあ難易度的にも納得ではあるものの「こいつやりよったな」という気持ちにはなった。

 Cエンドは普通に心に来たし、メタ的にも非常によくできている。

 ナルを受け入れようとする気持ちを明確に行動に移さないとこのエンディングにたどり着けないのは極めて納得が行くロジックだし、それが(プレイヤーの心を象る)四人娘の態度という形でシナリオにも現れているのは正しいカタチ。

 逆にシンソウを知らずにCエンドを見ると、凄まじいご都合主義感に襲われるのは皮肉が効いていていい。本当にナルの全てを受け入れる気があってこそ、Cエンドは成り立つようにも思う。

 その上でのあの置き手紙は、まあ、ダメだよね。

 記憶の話。

 個人的にめちゃくちゃ印象に残ってて、他人の話を聞きたいのは、<英雄の記憶>かなぁと思った。

 いかにもトロッコ問題にも類似しているけど、一番の違いは計量的な対比ではない、というところだろう。

 <英雄の記憶>において、僕は、何もしなかった。

 じゃあ全てを無視するのかというと、<選別の記憶>での動き方はちょっと違くて、1人目の女の子は何も聞かなかったことにして、2人目の女の人は助けて、3人目の女性は何も手をつけずに立ち去った。

 ここまで書いてきて思うけど、僕はとかく他人の責任を持ちたくないし、自分の責任を持たせたくないのだ。

 <選別の記憶>において、なんの力も持たない1人目の女の子ともはや死にゆくしかない3人目の女性は、「助けた瞬間に責任が発生する」対象だ(し、意図的にそう描写されていたとも感じている)。深く考えないやつはそんなこと気にしないんだろうけど、そうはいかないという面倒くさいやつもこの世には存在する。

 2人目の女の人は比較的自立しているし、助けになってくれそうでもあると描写されている。

 僕にとって、利害のある関係は非常に居心地がいい。線引きがはっきりしているし、お互いに自己責任だからだ。

 肝心の<英雄の記憶>だけど……多分、実際の自分であれば、闇の国を滅ぼすことを選んでいたと思う。犠牲にしたものに報いるとか、そういう話ではない。ただ、最初に手を貸そうとしたという義理のために。そうしたと思う。

 でも、僕は心の従うままに、何にも干渉しないことを選んだ。

 本当によく内心を表していると思う。根っからの精神的引きこもりなのだ。

 誰にも干渉されずにいたい。だから誰にも干渉しない。

 でも体面と規範を重んじたい自分もいて、そいつは義理とやらをとても大事にするのだ。きっと、そうありたいと、そうあれればよかったと、思っているからだろう。

 アンバランスではあるが、そんな自分が案外と嫌いではなかったりする。

 ココロと四人娘の話。
 

 こんな感じ。

 ざっくりとした認識として、この4つは「利己と利他」軸、「全体と個人」軸という2軸が存在したグラフの、おのおのの象限を形成しているイメージ。

赤:利己—全体 キーワードは「正義」
青:利己—個人 キーワードは「孤高」
黄:利他—全体 キーワードは「調和」
緑:利他—個人 キーワードは「人情」

 完全なる独断でのイメージなので、この辺りは人によって捉え方がかなり異なる部分であるとは思う。

 特にフウカ(緑)は非常に捉え所が難しいと感じていたけど、同時に一番気が合うだろうなとも思っていた。蓋を開けてみれば緑が一番多かったので、そういうことなんだと思う。

 逆に僕が本当によくわからなかったのは(理解できるけど共感できない、という意)メグミだったので、やっぱり本当によくできたALTER EGOだと思う。自己と向き合うにあたって完璧な出来。

 一番好きなのはシズクちゃんで、たぶん深層心理のあり方は最も近く、居心地がいい。テレビついてるだけのリビングでお互い無言のまま過ごすとめちゃくちゃ幸せな気持ちになれると思う。なりたい(願望)。

 トウカちゃんは……なんだろう。小学生の頃の自分を見ているようでちょっと辛かった。あの頃の僕より彼女の方がずっと大人のはずなんだけどな。


 さて。ここまで語ってきたけれど、ブレイカーハーツの話をすることとは、すなわち自分の話をすることである、というのがこのゲームの真に面白い部分だと思う。

 ゲームシステムの話も、シナリオの話も、いくらでもできるんだけど、それ以上に。自分の在り方と改めて向き合う機会として、本当に完璧なゲームだったと感じている。作者の Huyumiさんに全くもってしてやられた形だ。脱帽。

 というわけでブレイカーハーツ語りの皮をかぶった自分語りでした。みんなはどうでした? なんかの機会にでも教えてもらえると、めちゃくちゃニヤニヤするのでぜひお願いしたい。いつになるかわからないけど、楽しみだ。