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もの置き

てきとうに色々書きます

「17歳」に想いを馳せて(サカナクション「夜の踊り子」)


サカナクション - 夜の踊り子(MUSIC VIDEO)

今回ご紹介したいのはサカナクションの「夜の踊り子」。

安部菜々担当Pである私の解釈では、この曲は「17歳の安部菜々」を歌った曲に他なりません。
結論から言えば、私は「子供(=無邪気に夢を見る人間)と大人(=現実を見据え夢を諦めた人間)の狭間にある17歳の菜々さんが、夢を持ったまま大人になっていく」物語だと解釈しました。
歌詞をひとつひとつ紐解きながら、この曲に溢れる安部菜々力を解説していきたいと思います。

歌詞はこちらを参照ください。
http://j-lyric.net/artist/a04d6c9/l029cdc.html

※注意!:この記事には「安部菜々さんは27歳である」という前提に基づいているという致命的なミスがあります。実際の安部菜々さんは永遠の17歳です。ご了承ください。



跳ねた跳ねた 僕は跳ねた 小学生みたいに
雨上がりの夜に跳ねた 水切りみたいに

この曲の主人公、つまり「僕」は他ならぬ安部菜々さん本人です。「小学生みたいに」という形容がなされているということは、実際には子供ではないということ。この時の彼女はアイドルを夢見ていながらも実現に向けて行動しようとはしていない、まるで幼い子どものようなスタンスであったのだと思います。

(ミテイタフリシテ)
明日を素通り
(ヨルニニゲタダケ)
朝を素通り

見ていたふりして、夜に逃げただけ。彼女は何を見ていたフリしたのか。私は「現実」であると解釈します。
高校二年生といえば理系文系が分かれ始め、将来の進路を具体的に考え始めるころ。
周りのみんなが次々と進む道を決めていく中で、菜々さんは「アイドルになりたい」という漠然とした夢を見たままだったのではないでしょうか。

跳ねた跳ねた 君も跳ねた 女学生みたいに
水たまりの上で跳ねた あめんぼみたいに

この曲に登場する「君」、この正体は「ウサミン=アイドルとしての理想の自分」であると考えます。
この理由についてはもう一度「君」が登場した際に語ろうかと思います。

(ワスレタフリシテ)
それはつまり
(ヨルニニゲタダケ)

忘れたふり、つまり見ていたふりをしていた現実とは違い、意識しないように気をつけていたことになります。菜々さんが忘れたふりをしていたもの、それはずばり「夢」です。
今の性格を見る限り、高校生のころの菜々さんはおそらく周囲に合わせて過ごしてきたのではないでしょうか。
アイドルになるなんて大それた夢を周囲に話せないまま内側に押し込めて、普通の女の子として過ごす毎日。そんな中で菜々さんは自分の夢を忘れたつもりになっていたのでしょう。
心の底から現実を見据えて夢を諦めたわけでもなく、かといって夢を明確に意識しているわけでもなく。
ふわふわとした中途半端な気持ちを抱えたまま、菜々さんは日々を過ごしていたと予想されます。

どこへ行こう どこへ行こう ここに居ようとしてる?
逃げるよ 逃げるよ あと少しだけ

夢からも現実からも逃げ、今自分がどこへ行きたいのかを見失った菜々さん。
何かを求めるように夜の街に逃げ込みます。

消えた消えた 君が消えた 蜃気楼みたいに
にわか雨の音も消えた さよなら言うように

(キコエタフリシテ)
君の言う通り
(ヨルニニゲタダケ)

先ほど「君」は菜々さんにとって「ウサミン=アイドルとしての理想の自分」であると語りました。
夢から逃げた瞬間、ウサミンは存在理由を失い菜々さんの中から雲散霧消してしまいます。その時、菜々さんは自分の夢への想いに気付いたのです。

消えゆく直前、ウサミンが菜々さんに語りかけてきます。「そのまま逃げ続けて、あなたは結局何になりたいの?」
逃げていた自分をきっと自覚していなかったわけではないのです。自覚したくなかったのです。それさえも逃げであることを知りながらも。それは決して非難されるべきことではなく、誰にでもある普通のことだと思います。
ですが、菜々さんの中のウサミンはそれを許さなかった。菜々さん自身がそれを許さなかったのです。
菜々さんのそういうところが私は大好きです(告白)

どこへ行こう どこへ行こう ここに居ようとしてる?
逃げても 逃げても 音はもうしなくて

雨になって何分か後に行く
今泣いて何分か後に行く
今泣いて何分か後の自分

今泣いて何分か後に行く
今泣いて何分か後に言う
今泣いて何年か後の自分

再び自問自答を繰り返し、逃げ続けることをやめる決心をつけた菜々さん。
たとえ今泣いたとしても、その先を見据える覚悟をした場面です

行けるよ 行けるよ 遠くに行こうとしてる
イメージしよう イメージしよう 自分が思うほうへ

この曲のモスト安部菜々ポイント。はいもうこれ安部菜々
あくまで個人的な安部菜々観ですが、菜々さんは「ウサミン=理想のアイドルのイメージ」を追って、その実現のためにアイドルをやっていると私は思っています。

遠くに行く=理想を叶える、アイドルとしてステージに立つ
イメージしよう=今まで漠然と抱いていた「自分が思う理想のアイドル」が明確に形作られる瞬間

つまりこの場面は他ならぬウサミン誕生の瞬間なのです。

雨になって何分か後に行く
今泣いて何分か後に行く
今泣いて何分か後の自分

今泣いて何分か後に言う
今泣いて何年か後の自分

笑っていたいだろう

そしてリフレイン。「何年か後」にはまだ笑えていなかった彼女も、十年近くを経た今、プロデューサーと出会い、最高の笑顔でステージに立っています。
あの夜の彼女の選択はもしかするとある意味では間違っていたのかもしれません。
しかし、今アイドルとしての日々を過ごして笑っている安部菜々さんは、きっとあの時菜々さんが思い描いていたイメージにずいぶん近づいた姿であるはずです。


若い頃の菜々さんに、きっと葛藤がなかったわけではないはずです。
幼い頃は純粋な気持ちで見続けられた夢も、だんだんと醒めてきてしまうもの。「夢を見る」ことには実際の行動は伴いませんが、「夢を叶える」ためには夢を追う必要があり、「夢を追う」ためには多くのものを犠牲にしなければなりません。
臆病で自信のあまりない菜々さんにとってこの決断は非常に難しいものであったと思います。


そんな菜々さんが「夢を見る」段階から「夢を追う」段階へと一歩進む物語。
私はこの曲をそんな風に読み解きました。永遠の17歳、夢に向かって一直線なアイドル・安部菜々も素敵ですが、ぜひ17歳の普通の女の子・安部菜々にも思いを馳せてみてください。きっとこれまで以上に今の菜々さんが輝いてみえるはずですから。



……とまあ散々妄想を語らせていただきました。

実際のところ歌詞というのはだいたいが最大公約数的に書かれているので他のアイドルに重ねて読み解くこともできます。この曲の場合は菜々さん以外だと工藤忍ちゃんなんかもかなりハマるのではないでしょうか。

でもやっぱり僕はこの曲は安部菜々さんだなあと思いながら聴いてしまうのです。
担当だからね。仕方ないね。