オープニング
きっかけは、TLに流れてきたひとつの記事でした。
藤原蛙さん(藤原蛙(@BIZEN_toad)さん | Twitter)のこの考察を読んで、深く感銘を受けました。
説明のしようもない、素晴らしい考察です。是非お読みください。
さて、私も以前から「あいくるしい」の歌詞に関しては様々な妄想を蔓延らせていたのですが、この機会にと新たに歌詞を読みながら「あいくるしい」を聴き返していたところ、やはり自分の中で譲れない解釈があると改めて実感しました。
これは決して藤原蛙さんの解釈に異を唱えるものではなく、あくまで無数にある解釈のうちの一つだとお受け取りください。
また、この曲のテーマであるとも言える「永遠」と「運命」の解釈についてはまったく異論ありませんので、この記事においては元記事でなされていなかった歌詞ワンフレーズごとの査読、およびそれに基づく歌詞内世界の物語の考察のみ行います。
また、参照した歌詞はこちらです。
www.kasi-time.com
それでは、続きから考察に移りたいと思います。
本公演のあらすじ・プログラム
まず争いのないであろう前提として、「この物語は悲恋の物語である」ということを挙げておきます。
具体的な根拠としては2番Bメロ
眠り夢の中で何度抱きしめただろう
あるいはCメロ
「やっぱ君は最高のトモダチだ」と
あなたが笑うから
笑う
あたりでしょうか。実のところ恋であると明言しているフレーズはないのですが……。今回のテーマからするとこの部分はほぼ確定と言っていいと思いますし、その前提で考察を進めていきます。
さて、この曲の歌詞の物語は時間軸をベースに大きく3部に分けることができます。
1番 ー 大過去
2番〜Cメロ ー 小過去
大サビ ー 現在
1番2番それぞれのサビは時系列が微妙に断言しきれない部分がありますが、本解釈ではおおまかこの3つに分けて考えていきたいと思います。
それでは、物語「あいくるしい」の開演でございます。
第一幕:大過去
草かき分け歩き続けたこの道が全てだったから
本当の自分をさらけ出すのは怖かった
歌い出しの部分では、背の高い草に囲まれ、周りも見えず、また周りからも見つかることのない、孤高とはまた違った孤独な人生を歩んできた「私」の様子が描かれています。
「草かき分け」という表現から、他のみんなとは違うどこかを目指してひとりでいたのではなく、自分の行く末にも迷っていたことが伺えます。「全てだった」、つまり他の生き方を知らない不器用な子だったのでしょう。それを悲しく思いつつも、半ば諦めているからこそ「本当の自分をさらけ出すのは怖かった」のだと推測します。
だけどあの日あなたと出会い笑顔に触れ心は融けて
こんなに自分が優しくなれるとは思わなかった
「私」と「あなた」の出会い。ここに関しては解説もいらないでしょう。
誰からも見つけられず、諦めの中にあった「私」を見つけ出し、救ってくれた「あなた」の存在が「私」にとってどれほど大きな存在であるかは想像もつきません。
しかし、「あなた」にとって「私」がどうであるか……。この話はもう少しあとにしましょう。
2行目の「こんなに自分が優しくなれるとは思わなかった」は直前の「心は融けて」から繋がっているので、単純に「あなたと出会うまえの自分からは想像もつかないほど、私はあなたと出会えて優しくなったんだ」という独白だと解釈します。
あったかい夢の前で何も言えはしないけど
ここは解釈に非常に悩む部分。これまでの前提からシンプルに文脈を捉えれば「私はあなたと結ばれたいけれど、それを告げることはあなたの夢を邪魔してしまうことになるから、何も言えない」という解釈が妥当です。
「あったかい夢」が単なる夢であれば、「私」が「あなた」と結ばれることとの両立はそれほど難しい話ではないでしょう。
藤原蛙さんの解釈では「あったかい夢=「『あなた』と『私』以外の誰かの結婚である」となされており、実際のところそう考えるのが真っ当ではないかと思います。それ以外の解釈が非常に困難です。
さて、この部分において、果たして「私」は自分の恋心に自覚的だったのでしょうか?
私はそうではないと考えます。
あいくるしい人に会えたから
永遠を確かめるように背中を見つめてみた
急になんか正解の風に流されたような
私の願いなんて単純なものだよ
いつも通りに…
藤原蛙さんの解釈と異なる部分として、私はサビまで含めた一番の歌詞すべてが大過去の出来事だと考えています。
「あなた」と帰り道を歩きながら、先を行く「あなた」の背中を見つめ、「急になんか正解の風に流された」とき、「私」は自らの恋を自覚したのではないでしょうか。
そして、恋心を自覚した私は心配します。「果たして、これからも『あなた』といつも通りに接することができるだろうか……」と。不安を孕みながらも、物語は第二幕へと続きます。
第二幕:小過去
去りとて月日が未来の道しるべと信じてからは
思い出だけでも幸せになれる気がしたから平気と
「去りとて」。本来「さりとて」の漢字表記は「然りとて」が正式です。本来ひらがなでもいい部分にわざわざこの漢字を用いたということは、何か特別な意味があると考えてしまいますね。
私は、「月日」が前後両方にかかっているものと捉え、「月日」が「去り」、すなわち1番からしばらく時間が経ったという暗示であると解釈しました。これが「ここからは小過去である」とした所以です。
さて、彼女はどうやら思いを伝えることを諦めてしまったようです。随分と早いのではないか……と思ってしまいますがこれに関してももう少し後でお話ししましょう。
眠り夢の中で何度抱きしめただろう
解釈不要のパラグラフ。諦めたとはいえ、心のうちに燻る思いが消えたわけではありません。
藤原蛙さんの記事にもありましたが、1番と2番で「何も」と「何度」の対比がなされていることも切なさを強調します。
あいくるしい人に会えたから
運命は素敵なようで悲しく思えました
今日で何度同じ帰り道歩いたかな
あなたの気持ちなんて分かってるつもりだよ
そばにいたから…
あいくるしい人に会えた運命に感謝すると同時に、その人と決して結ばれることはない悲しみを描く一節。
「今日で何度同じ帰り道歩いたかな」というフレーズが、「私」と「あなた」の重ねた時間を切ないほどに表現しています。
「あなたの気持ちなんて分かってる」。「あなた」の気持ちが自分の方を向いてはいないことが、ずっと「そばにいた」彼女だからこそ、わかってしまうのです。
特別じゃないけれど当たり前の幸せ
選んでみたんだ
「やっぱ君は最高のトモダチだ」と
あなたが笑うから
笑う
さて、ここが今回の解釈のポイントであり、独自の解釈へと派生する場面です。
私はこの歌詞を読んだ時、少し違和感を覚えました。
順当にいけば、「特別な幸せ」とは「『あなた』と結ばれる」ことであり、「当たり前の幸せ」とは「『あなた』とトモダチでい続ける」ことだと解釈できます。
しかし、女の子が意中の男性と結ばれることは、それほど特別なことでしょうか?
「『やっぱ君は最高のトモダチだ』とあなたが笑」いますが、年頃の男女が一切の恋愛感情の含みも持たせず長年友達として付き合い、何の屈託や衒いもなく「君は最高のトモダチだ」と笑うことができるでしょうか?
彼女は恋心を表に出さなかったのではなく、出せなかったのではないか?
もしも「当たり前」であれば結ばれることはない関係性であるとしたら?
そして、私はこう結論づけました。
「あなた」は「私」と同性(おそらく女性)であり、この物語は「女の子に恋をしてしまった女の子の物語」である。と。
それでは物語の終幕、第三幕へと移りましょう。
第三幕:現在
あいくるしい人に会えたから
永遠を確かめるように背中を見つめてみた
急になんか正解の風に流されたような
私の願いなんて単純なものだよ
いつも通りに…
いつも通りに…
そして現在。ここでは藤原蛙さんと同じく、「あなた」の結婚式に臨む「私」が主人公であると解釈します。
永遠を誓い合う2人の背中を見つめながら「私」は何を思うのか。ここの部分の「急になんか正解の風に流されたような」は非常に抽象的であり、何の正解であるのか、自分の中でまだ結論が出ていないところではあります。解釈募集中。
そして、リフレインする「いつも通りに…」。ここは二重の意味があると考えており、まず一つ目は恋が破れた悲しみの中でもいつも通り、「あなた」にとって最高のトモダチである「私」であろうと努める意味。二つ目が、改めて自分の恋が破れた現実を受け止め、それでも「あなた」との関係を断ってしまうのではなく、これからも「いつも通りに」接することを決心する意味。
そんな「私」の姿を映しながら、物語は終幕を迎えます。
藤原蛙さんの考察をお借りすると、ここで祝福を意味する「カノン」を模したフレーズが流れ出すのは、悲しみながらも「あなた」を祝福し、次への一歩を踏み出そうとする「私」の心情を表していると解釈できます。
カーテンコール
以上が、私の思い描く「あいくるしい」の物語です。
自分の解釈に自分で感想つけるというのもなんともアレな話ですが、「私」にはなんとしても幸せになってほしいですね……。
また、この解釈は藤原蛙さんの解釈の影響を多大に受けております。特に「結婚式」という発想はカノンの旋律含めて僕の頭では一切出てこなかったであろう部分です。このように解釈すると非常に理解しやすい部分が多く、大変参考になりました。
記事も読み物として面白く、唸らされる場面が多々ありました。素敵な記事を読ませていただいたこと、この場を借りてお礼申し上げます。
とはいえ、これは無数にありうる「あいくるしい」の解釈のうちのひとつでしかありません。
あなたも、自分だけの「私」の物語を描いてみませんか?
そしてあわよくば記事にして読ませてください