もの置き

てきとうに色々書きます

あとがき

テキストカバレージはマッチを戦ったプレイヤーのために書かれるものでなくてはならない、というのはカバレージがカバレージである以上絶対普遍の真理だ。いっぺんの曇りもなく、僕自身もそうあってほしいと思っている。

だからこそカバレージはあんなにも冒険心を満たし、闘争心を沸き立たせ、好奇心をくすぐり、あらゆる角度から心を動かしてくれるのだが、それは文章という媒体として見たときに限れば枷でもあることは、ごまかしようのない事実であると思う。

 

昨日、僕はデュエル・マスターズの対戦についての文章を書いた。あれはなんなのだろうか。小説かもしれない。マッチカバレージかもしれない。架空デュエマかもしれない。もしくは、あれをデュエル・マスターズの対戦についての文章であるとは認めない人もいるかもしれない。どれであっても正しい。なにせ僕自身もあんまりよくわかってないから、好きに受け取ってくれればそれでいいと思う。

ただ、いわゆるマッチカバレージにおいて通常は不可欠なプレイヤーの顔を意図的に排除して描いたのは確かだ。

 

デュエル・マスターズを文章という媒体で描くときに、どんなことができるだろうかとふと思う。僕はありていにいって「変な文章」がとても好きだ。文章はとにかく自由で、やりたいと思ったことはたいてい実現させてくれる。普通の文章が悪いとは全く思わないのだが、自分がやるのであればせっかくなら伝えたいこと・見せたいものをできるだけ読者の印象に残るかたちで書き残したい。隙あらば読者の不意を衝きたい。

けっこう前に書いたカバレージだけど、超CS静岡でさば猫選手がG-ジョラゴンとモンキッドのチェインコンボデッキを駆使して勝利を収めた1本は、個人的にやりたいことがかなり綺麗に反映されていたし、評判もけっこう良かったと記憶している。

ここまでわかりやすい試合は稀だから特例として、たとえばゲームの山場をいきなり冒頭に持ってくるとか(長い対戦には向かないが、先攻3ターン目で終わるようなゲームなら大真面目にやっていいと思っている)。後々に響いてくる展開の分岐を意識的に強調して伏線として認識してもらうとか。テキストカバレージの範囲でできる工夫はいろいろある。

 

しかし、テキストカバレージのくびきから離れた先で、読者が面白がれる範囲で「デュエル・マスターズの対戦」を書くときにやれることってなんだろうかと考えて、最初に思い付いたのが、クリーチャーの目線から盤面を書くことだった。思い付いたなら書くべきだ。「いーから書いてみろって」って言われたことだし。

手法を思い付いたときに、じゃあこうだったら面白いだろうと脳裏に浮かんだものをそのままシェイプアップして出力した。流れはある程度組み立てられていて、あとは手を動かすだけのところだったので、仕事の休憩時間中にさらっと書いた。だいたい1時間半くらい。

 

本当はいろんな手法を考え出して3~4本ぐらい対戦にフォーカスを当てた文章を書いてみたいと思っていたんだけど、話題の性質からして一両日中には公開したいし、他のクリティカルなアイデアがそこまで浮かんでいたわけでもないのでやめた。発想自体はあっても、それを面白く出力するのが難しい。

あの文章はそれだけで見ると徹頭徹尾意味がわからないし、それほど多くの人に読まれる文章だとは思っていない。それでも届けたいところには届いたと思っているので、まあ、書いてよかったと思う。

 

しかし読み返すと、「デュエル・マスターズの対戦についての文章」は面白い。10回は読み返してる。何回かに一回ちょこっとずつ誤字が見つかって、落ち込みながら修正したりもしているのだが。

僕の文章って本当に僕が好きになるように書かれている。戦う者への賛歌であるべきマッチカバレージのライターとしては不適当だとわかってはいるのだが、どこまでいっても僕は僕が好きになるようにしか文章を書けないのだ。その事実だけは肝に銘じたまま、これからもなにかを書いていたいと思う。