もの置き

てきとうに色々書きます

クオリア次元論入門

 こんにちは、レッドです。botさんたちの夕べ、非常に濃くて興味深い内容でしたね。僕ですか?僕は家で一人寂しくニコ生ウォッチングですよ、もちろん。ええ。

 さて、いよいよもってサージュ・コンチェルトとトライナリー世界の関係性が浮き彫りになってきて、「クオリア次元論」という言葉を耳にした方も多いのではないかと思います。この理論については大変詳しい説明がなされている公式の世界設定資料集(WSD)が存在するのですが、なにぶんサージュ・コンチェルトのストーリーに関する基礎知識がないと理解しづらく、該当項目は特に文字だらけのため読解にも時間と精神力をだいぶ消耗してしまうこと請け合い。というかしました。
 というわけで今回は「クオリア次元論入門」と題打ちまして、僕が僕に可能な限りわかりやすく(努力目標)クオリア次元論について解説したいと思います。
 僕の解釈が間違ってる可能性も大いにある、というか間違いなくあると思いますので、雰囲気だけでも掴んで帰っていってください。

 あと、クオリア次元論は存在自体がネタバレなのでサージュ未プレイの方はご注意をば。

次元ってなんなのさ?


 クオリア次元論は次元論であるわけですから、当然「次元」について扱う理論です。ではまず「次元とはなんなのか?」という一番最初の定義に立ち返ることとしましょう。いろいろ調べてみたのですが、このグーグル先生の解説が一番端的で伝わりやすいかと思います。

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 また、Wikipediaにも理解の助けになりそうな記述がありましたので引用します。

 直感的に言えば、ある空間内で特定の場所や物を唯一指ししめすのに、どれだけの変数があれば十分か、ということである。たとえば、地球は3次元的な物体であるが、表面だけを考えれば、緯度・経度で位置が指定できるので2次元空間であるとも言える。しかし、人との待ち合わせのときには建物の階数や時間を指定する必要があるため、この観点からは我々は4次元空間に生きているとも言える。
(引用元:次元 - Wikipedia


 さて、では厳密な3次元空間においては4次元的座標はそもそも存在しないのでしょうか? あるいは5次元的概念は?
 そんなことはありません。あくまで「自由に動かせない」から指定しえないのであって、概念としては存在するものなのです。これについてはWSD「次元論」の項目において詳しい説明がなされています。

次元とはすなわち、「世界のサイズ」的なものではなく、「世界の自由度」である。
1次元でも7次元でも要素数は同じであり、ただその幾つが「自由に出来るか」でしかない。
次元内の要素を「次数」と言う。次数は以下のようになっている。

1 X
2 Y
3 Z
4 T(time)
5 I(if)
6 C(collective consciousness)
7 W(Worlds)
(引用元:次元論 - PukiWiki、赤字は補足的に筆者が加筆した部分)

 これに従って我々を定義すると、「3次元的空間に生きていて、3次元的知覚を有している、2次元的俯瞰視点を持った4次元的存在」ということになります。順を追って説明していきましょう。

3次元的空間

 先述の通り、空間の次数を定義するのは「自由に動かすことのできる座標軸の数」です。私たちは私たちの生きる空間を自由に動くことができます。どれほど時間がかかるとか、どれほどエネルギーが必要とか、寿命がどうだとか、物理的知覚の限界だとか、そういうことをいったん無視すれば、理論上は宇宙の果てにもたどり着くことができるのです。
 そしてまた、私たちは空間と同じように時間的座標を指定することはできます。しかし、未来の一点を指して「この時間までにこの場所で」という形で待ち合わせすることはできますが、過去の一点を指して「この時間にこの場所で」と待ち合わせることはできません。私たちは時間軸を自由に移動できないためです。この不自由こそが私たちが生きている空間が3次元的なものである根拠となります。

3次元的知覚

 厳密には少し違いますが、ものすごく簡単にいえば「どこまでの次元を身体的に(≒観念的な理解ではなく、ありのままの形で)認識できるか」というようなものです。私たちは概念として4次元以上の次元のあり方を想像することはできますが、3次元空間を見るのと同じようにそれらを見ることはできません。かろうじて4次元までなら空間としてのありようを想起することはできます。しかし、5次元以上の空間を正しい形で想像するのははっきり言って不可能でしょう(これについては次元論 #相似法則に詳しいです)。
 これは私たちが3次元空間用の肉体を持っており、知覚がそれに依存してしまっているためです。逆に言えば、3次元的肉体を捨て去ってしまえばこの上限はある程度解放されるわけです。ようやくちょっとトライナリーに関する話ができそうですね。

コラム:天使たちと俯瞰視点について

クオリア次元論入門者向けの話ではなく、ある程度理解している人向けの話になります)


 肉体を失い知覚の上限を解放する、といえばやはり想起されるのは千羽鶴や「彼ら」の計画における天使たちの話になりましょう。
 彼女たちに求められた役割が理想世界の管理者である以上、局所的に(少なくとも彼女たちが管理する世界においては)6軸を俯瞰し、改変する能力が必要となります。このために立ちはだかるハードルは3つ。


⒈知覚の上限を解放しなければならない
⒉そのうえで知覚を引き上げる手段を講じなければならない
⒊その世界の内部的な存在であってはならない


 まず⒈についてですが、千羽鶴からも言及があったとおり、セルフクランの昇華に伴って彼女たちは肉体を喪失して精神的存在になる手筈でした。肉体を失えば知覚的な上限はなくなります。


 では肉体を失えば誰でも俯瞰視点が行使できるのかというと、そう単純な話ではありません。俯瞰視点を行使するためには外側から世界を見る必要があり、さらに「上限が解放されただけ」の状態で知覚そのものがかわることはないため「魂のレベル」を引き上げる必要があります(魂のレベルに関してはここで説明しきれないので省略しますが、簡単にいえば「RPGにおいてレベルキャップを解放したからといってその瞬間にそのレベルに上がるわけではなく、そのレベルに至るまでに経験値や振り分けポイントを稼ぐ必要があるようなもの」だと考えていただいて大丈夫だと思います)。


 サージュ・コンチェルトにおいてはそれを「別の宇宙から人間を引っ張ってくる(=最初から知覚の上限解放済み)」「ジェノムやシンクロトロンとの同調により魂のレベルを引き上げる」という二段構えで実現させていましたが、トライナリーにおいてこのハードルのクリアに重要な役割を果たしているのはおそらくフェノメノンでしょう。フェノメノンとは、いわば「小さな7次元世界」であり、既存の宇宙の法則を逸脱し、発症者の「意志」を元に別の宇宙を構築するシステム。それも今の宇宙とは独立した宇宙を造るのではなく、今の宇宙の内側に造ることで、外側からも存在を観測することができるようになっています。宇宙の内側の人間たる彼女たちがゾルタクスゼイアンの内部で俯瞰視点を行使しうるのは、フェノメノンが宇宙の内部に存在する(=擬似的に誰しもが「別の宇宙の存在」になれる)からなのでは?というのが現時点での私の予測です。つまり、「世界の内側に新たな人工7次元世界を造りあげる」「3次元的肉体によって課せられた上限を取っ払う」「セルフクランの昇華、フェノメノンとの融和によってクオリアを脱し、魂のレベルを引き上げる」という三段構え。

 ちなみに、外部からゾルタクスゼイアンの内部は観測が不可能というのも、フェノメノンが小さな7次元世界であると仮定すれば説明ができます。7次元世界を外部から観測すると、それは常に無数の6次元的可能性世界を内包しているので、あらゆる可能性世界が量子重ね合わせ状態で存在しています。いわゆる「シュレーディンガーの猫」のようなものですね。


 というわけでフェノメノンは「世界を俯瞰可能な形に落とし込む」「詩魔法のような特殊なチカラなしでも現実を改変することができる」という、彼らや千羽鶴の計画において極めて重要な役割を担ってるんじゃないかなあ、というお話でした。天使の話じゃなくなったぞこれ。

2次元的俯瞰視点

 これはものすごくわかりやすい話で、ある知覚的主体(クオリア)はその主体の生きている次元より下の次元しか俯瞰できないというだけの話です。我々は3次元人なので俯瞰可能なのは2次元以下に限られます。前項「3次元的知覚」の中に内包される概念ではありますが、「そもそも俯瞰ってどういうこと?」という人もいらっしゃるかと思いますので独立した項目として取り上げました。

 今回は、「次元の俯瞰とは『何者にも認知を阻害されない状態でその次元空間のすべてを知覚できる』こと」であると定義したいと思います。
 どういうことかと言いますと。


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どうみても2次元ですが3次元であると仮定してお考えください

 突然ですが問題です。


 上の「3次元的イラスト」の中に長方形はいくつあるでしょうか?




 視認できる限りでは4つですね。では正解を見てみましょう。


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カグラチャンス!!

 実は赤い長方形の下に黄色い長方形が一つ隠れていました。よって正解は5つです。正解者に拍手!!!!!

 ……おわかりいただけたでしょうか。これが「私たち3次元人が3次元的空間を俯瞰できない」理由です。私たちは3次元空間の内部にとらわれて生きている以上、その次元の法則によってしか空間を認知することができません。視線と対象の間に物質があったら遮られて見えませんし、理論上宇宙の果てに行くことはできても、宇宙の果てを知覚することはできません。俯瞰視点というのはそういった障害が一切なく、あるがままが手に取るようにわかる視点のことを指します。コラ師や絵描きのみなさまにおかれましては、「画像のレイヤがツールバーに全部表示されててワンクリックで表示レイヤを切り替えれる状態」みたいな感じが感覚的に近いかもしれませんね。

4次元的存在

 さて、ここまで書くと「俺たちは3次元的存在なんじゃねえの?」という感覚を持たれるかと思います。前項の頭でおもいっきり3次元人って書いてますし。しかし違うのです。私たちは4次元的存在なのです。それについてはWSDのこちらに詳しい記述があります。

立体の4次元版、4次体とはどのようなものだろうか。
4次体は全く特別なものではない。我々は全て4次体である。
分かりやすい例えで説明しよう。
2次元に咲く薔薇があるとする。更にイメージしやすくする為に、映像作品で薔薇のつぼみから枯れるまでのムービーがあるとする。
そのムービーの全フレームをZ軸で1ミリ単位に配置すると、薔薇が蕾の状態から枯れるまでの、連続した立体模型が出来るだろう。
この立体模型を固定し、XY2次元空間をZ軸に向かって等速で移動させれば、薔薇が咲き枯れていく。(次元の通過法則)
次元相似の法則で、これは4次元と3次元でも適用される。
結論から言えば、我々も、卵子1つから火葬されて灰になるまで(本当はもっと前、もっと後もある)の4次体なのである。
それを、T軸に向かい∞fpsで進行する4次元立体ムービー(3Dムービーではない、4Dムービー!)なのだ。
(引用元:次元論 #次元解説-4次元:時間世界

 1次元の物体である点の集積によって2次元が定義されるように。
 2次元の物体である面の集積によって3次元が定義されるように。
 3次元の物体である私たちの集積によって4次元は定義されます。

 そんな4次元的存在である私たちが4次元空間を認知できないのは、「今この瞬間を生きる私たち」は3次元的存在でしかないからです。再生途中の動画を一時停止するとその瞬間はただの写真でしかなくなるように、立体であるきゅうりを輪切りにした断面は単なる平面でしかないように、私たちが知覚しているのは無数の4次元体の「断面」である3次元的物体でしかない、ということですね。
 これを端的に表しているのが「次元の通過」に関するこの説明文です。

2つめは、次元の通過である。
n+1次元の物体をn次元に通過させると、n次元では突然無の空間から物体が現れて、消えていく様に見える。
例えば、2次元平面に球体を通過させると、二次元平面上では突如円がわき出て来て、それが大きくなり、そして小さくなり消えていく。
それと同様に4次元的球体を3次元世界に通過させると、空間に突然「点」が出現し、それが徐々に大きな球体になり、そして縮み、点になり消える。
これは、我々が老いたり、形有るものが崩れ去る事と大きな関わり合いがある。
(引用元:次元論 #共通法則(定義)-相似法則

 これはつまり「私たちの人生」という4(3+1)次元体が3次元を通過することによって、3次元視点からは私たちがある時どこからか発生して、ある時死んだかのように観測することができる。それこそが私たちの人生の正体である、ということなのです。

 ずいぶんややこしくなりましたが、だいたい

ある主体がn次元にある存在であるならば、
 その主体は(n-1)次元を俯瞰することができ、
  その主体は(n+1)次元体の構成要素である。

 という認識をしていただければ間違っていないかと思います。

 この項目の解説についてはやや自信がないのでクオリア次元論に自信ニキがいらっしゃいましたらリプなりコメントなりいただけると嬉しいです。

各次元の解説

 ようやく本題に入りますよ!
 今回は2次元まではぶっちゃけどうでもいいのですっ飛ばして3次元から解説していきます。

3次元:立体世界

我々の認識でき、住まう世界である。
我々は0~2次元までを、自らの世界内に存在する従属的な次元だと考えやすいが、実際はそれぞれの次元は対等であり、全くの別である。
現にわれわれは、どんなに小さな物質(例えばクオーク)で面を構成しようとも、それは2次元空間にはならない。厚みが存在する為である。
3次元は3次元であり、2次元とは主従関係でも何でも無いのである。
(引用元:次元論 #次元解説-3次元:空間世界

 先ほどは簡略化のために「1次元が2次元を定義し」云々と言いましたが実際にはこのように独立した次元世界です。仮想的な2次元を作ることは可能ですが、現実的にはそれを表現するための媒体が物理的に3次元空間の物体として存在せざるをえないため、「完全な2次元空間」は3次元空間内に存在しえないのです。つまり、虹嫁だって厳密には3次元!(違う)

4次元:時間世界

4次元空間という言葉には夢がある。だが、実際にはさほど夢はない。
我々が4次元空間を指して「夢がある」というその理由の殆どは、「5次元空間」の専売特許だ。
例えば、4次元空間では時間が自由自在だから、過去に戻って別の選択が出来る…と言われる。
それはその通りであり、実際それで窮地を逃れる人もいるだろう。
でもそれは、目隠しをされて選び直しているだけで、結局結果としては同じ運命になる事も多い。
これが完全に解決されるのは5次元である。
(引用元:次元論 #次元解説-4次元:時間世界

 時間軸を自由に動かせるようになる4次元空間内部での時間遡行の最大の問題は「記憶を保持できない」点にあります。上記引用ではこれを「目隠しをされて選び直している」と表現されています。
 先述の通り、4次元体というのはひとつの固定化された道筋を始めから終わりまで辿る、いわば動画のようなもの。ひとつの動画を巻き戻せば登場人物の言動がまるまま巻き戻ってしまうように、4次元においてもT軸の移動を行えば記憶ごと巻き戻ってしまいます。つまり4次元内部にいるかぎりにおいては「過去の選択をやり直す」ことはできないのです(理論上は何千何万何億とループを繰り返せば揺らぎが発生して違う選択をする可能性はあります。ただしそれは明確に「やり直そう」として選んだ選択ではありません)。

 4次元を俯瞰する場合、その世界の歴史をすべて把握することができ、さらには可能性軸をずらすこともできますが、その結果世界がどのように変わるかを知ることはできません(予測のレベルであれば成り立つかと思います)。これを私たちの知覚可能なレベルに落とし込んで解釈するならば、ある人間の腹部MRI写真を1枚見せられただけではその人の身長や体格まで綿密に知ることはできないようなもの、だと思っていただければ。

5次元:可能性世界

もし我々が「5次元的な目」を持っていたならば、我々は、自分が生まれてから全ての行動可能性を物質として俯瞰できる。
もの凄く絞って見ると、貴方の身体は樹状に広がっていき、ある分岐は途中で死に、ある分岐は長く続いていく。
先に4次元の説明において、夢があるのは5次元だと伝えたが、まさにこれである。
5次元的俯瞰をする事によって、我々は自らの一生の、いつ如何なる時にどれくらいの「IF」を選択したか、その結果が全て俯瞰できるのである。
(引用元:次元論 #次元解説-5次元:可能性世界

 ものすごく乱暴な言い方をするならば、5次元俯瞰とは「選択肢を選んでシナリオを読み進めるタイプの1人用ノベルゲームを、攻略サイトを見ながらプレイしている状態」のことです。1人用ノベルゲームではセーブ&ロード機能によって時間軸を操作することができます。攻略サイトを見ながら選択肢を選べば望むままの結末を得ることができます。

 もちろん、実際の5次元空間においては、選択肢というものは莫大な数に及びます。たとえばあなたが明日寝坊するかしないか。たとえば今日あなたが晩ご飯に外食するかしないか。たとえば今から5秒後にあなたがまばたきをするかしないか。最終地点に対する影響力の誤差はあれど、人生を左右するような重大な意思決定から何気ない体の所作まで、あなたの取る行動のひとつひとつが世界の分岐に繋がります。今この記事を読んでいるこの瞬間でさえもあなたの可能性世界は無限に広がっているのです。

6次元:集合世界

現実的ですごく分かりやすい言い方をすると、あなたがまっすぐ10m歩こうとしているとして、その間に他の人が横から割り込んできたら避けるかもしれない。ぶつかるかもしれない。
5次元ではそれを制御できない。なぜなら、「他人」がいつ、どこで、どのように干渉してくるかは5次元ではわからないからだ。
だから、6軸(C軸)の移動というのは、あなたがどんなに頑張っても、1クオリア如きでは自由な操作はできない。これは力の有無に関係無しに、物理的に出来ないのだ。
あなたはどんなに超高度な技術を会得したとしても、この乱れ飛び、全くコントロールの効かない超的なランダム移動(ホワイトノイズ的移動)をするC軸をコントロールすることは不可能なのである。
(引用元:次元論 #次元解説-6次元:集合世界

 お待たせいたしました、いよいよクオリアの出番です。

 引用に次ぐ引用で申し訳ないのですが、まずはクオリアの辞書的な定義から紹介いたします。

とっても説明が難しい単語。
例えば「トマトは赤い」という感覚。
主体的な感覚のことで、それは自身の事にしか証明できない。
隣の人が見ているトマトの色は、自分の目が見て脳が判断している「この赤」であるとは限らない。
自分の青が隣にいる人の赤かも知れない。
トマトの赤は、物理的には可視光の吸収によってスペクトルが欠落し、不均等な形で光が反射しているからだが、
クオリアはそれを指すものではない。
クオリアは「それを赤いと感じている自身の感覚」を指す。主観的なものなのである。
引用元:クオリア - PukiWiki

 クオリア次元論における「クオリア」という用語は、このような定義を大きく逸脱し、概ね「主観的知覚を行使するいち主体」というようなニュアンスで用いられています。つまり僕はひとつのクオリア。君もひとつのクオリア。犬や猫はもちろん、ミミズだってオケラだってアメンボだって、僕らはみんなクオリアです。

 6次元世界というのは、ありていに言えば自分のクオリアを主体とした5次元世界と、誰か別のクオリアを主体とした5次元世界が相互干渉した果ての可能性世界。5次元世界が「1本の樹」であるとするならば、6次元世界はさしづめ「樹々が密集して生えているために複雑に絡み合った森」といったところでしょうか。
 これを俯瞰する、とはどういうことかを先ほどと同じようにゲームで例えるならば、「対戦型ゲームで、すべてのプレイヤーが取ったかもしれない行動、引いたかもしれないカード、出したかもしれないダイスの出目など、無数にありうるゲームの展開を完全に網羅した攻略本を持っている」ようなものです。かように、6次元俯瞰視点というものはもはや人智の外にあります。

 6次元を俯瞰するためには、主観的知覚を脱却し、いわば世界の「意志」そのものになることが必要不可欠です。トライナリー本編中において、千羽鶴が國政綾水、恋ヶ崎みやび、ガブリエラ・ロタルィンスカ各員についてセルフクランを昇華させ、「肉体を失い、精神が世界と融和する」よう仕向けたのはこのためだと思われます。

7次元:多元結合世界

6次元のC軸を支配することができると、この1つの「世界」の森羅万象を全て見通す事が出来る。
無限に存在する“1クオリア分”の可能性が、更にその無限の無限乗に存在する“他クオリアとの干渉”によって変化する可能成分の全てを、全クオリア分見渡すことができるのである。
宇宙において、物質や波動というものは「結果構成されたもの」である。では「何の結果」かといえば、H波、すなわち「意志」によって構成されたものである。
この世界では、宇宙(エクサピーコ)以下、銀河、恒星、惑星含め、全ての塊には意志がある。その塊というものさえも、意志が構成した結果なのだ。
(引用元:次元論 #次元解説-7次元:多元結合世界

 ……お前は何を言っているんだ?
 このクオリア次元論においてもっとも難解なのが7次元世界。
 ものすごく簡単に言えば「ひとつの宇宙に内包される無数の6次元的可能性世界をひとつの集合体として見たもの」が7次元世界です。何を言ってるかわかりますか? 僕にはわかりません。
 サージュ・コンチェルトを把握するのであれば、おおざっぱに、「7軸ズレとは『宇宙の成り立ちが違う』ようなもので、僕らの、そしておそらくはトライナリーたちの暮らす地球が存在する『ビッグバン宇宙』はビッグバンによって成立したもの。そしてラシェーラやアル・シエルの存在する『エクサピーコ宇宙』はビッグバンとはまた違うなにかによって成立したもの」。これだけ押さえておけばとりあえずはOKです。ちなみにトライナリーについてはもう少し難しい話になりそうなので、ここまでのお話を理解できた方は上記の「コラム:天使たちと俯瞰視点について」に立ち返っていただければと思います。

 H波うんぬんの話は僕自身の理解も浅く、詳しく説明しようとするとおそらくこの記事よりちょっと短いぐらいの別記事が必要になると思いますのでここでは割愛させていただきます。また機会があれば書くかも。

おわりに

 というわけでクオリア次元論入門、いかがだったでしょうか。途中から「これ全然入門編じゃなくね?」って思いながら書いていたんですが、この記事が皆さまのココロの旅の助けになれば幸いです。ここまでお読みいただきありがとうございました。