もの置き

てきとうに色々書きます

レッドRe:ログ Vol.12

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトを観ました

cinema.revuestarlight.com


 観ました。

 2回目を。

 3回目いつにしようね。

ひえたあたまでみえたもの

 さすがに2回目ともなれば、とにかく追いつくのに必死だった初見とは違って冷静に観られるシーンが増えました。

 大枠の感想は前回書いたのと一緒なので実はあんまり言うことないんですけど、ちょっと前言を撤回しないといけないところがあるのでそこだけ書きます。

 「魂のレヴュー」は、すごい。

魂のレヴュー 〜 What is 天堂真矢?

 天堂真矢とは「人」である。

 結論から言えばこれが「魂のレヴュー」の映像全てを通して描かれていた主張だった、ように思います。

 印象的に描かれていたのは、レヴュー前の控え室でどうぶつしょうぎをしていたシーン。めちゃくちゃ唐突に挟まるシーンなんですが、ここで絶望的に「弱い」天堂真矢が描かれるのは、人間的な弱さを持っていることの示唆としてそのまま受け取っていいと思います。カット最後のセリフが「あんた、本当に弱いわね」で終わるし、たぶん普通にそういうことでいい……はず……。

 あと細かい部分なんですが、天堂真矢の手元にあった飲み物が眠眠打破(のパロディ商品)だったのも目に付きました。「眠らない舞台装置=神の器」を目指そうとしていることの示唆かな? と思うんですが、それは逆説的に、そうしなければ器になりきれない、どこまで行っても人であることの証左でもあります。

 天堂真矢は人である。最初から、最後まで、神などではない。

 それでは、なぜ天堂真矢は神であろうとしたのか?

 作中では「舞台に立つうちに、それが求められていることだと気付いた(要約)」とされていますが、ここでキリンの語っていたwi(l)d-screen baroqueの本質を思い出してください。

 この映画は、このレヴューは、観客が望んだ舞台。このレヴューを望んだ観客というのはそれすなわち今まさに映画を観賞している「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」シリーズファンたちです。

 すなわち、アニメシリーズを観た我々の多くが「天堂真矢は神の器だ」と感じたからこそ、このレヴューにおいて彼女はそのような姿で顕現したのだ、という見方をすることができます。

 だが、そうではない。天堂真矢は「人」である、というのはレヴュー前後の演出の端々から感じ取れます。

 そして、それを他ならぬ天堂真矢本人に突きつける役目を与えられたのが、西條クロディーヌ、というわけですね。

太陽(かみのざ)に手を伸ばして

 2回目の観賞において、僕は天堂真矢にイカロスの姿を見ました。

 「人の身でありながら」、「翼をたずさえ」、「神の領域に手を伸ばそうとして」、「燃えながら落ちていく」。そして、レヴューの最後には、「翼(魂のレヴューにおいては翼を持つ神の器)が熱に溶かされる」、という点も共通しています。

 神話においてイカロスの翼を作ったのが、父親であるダイダロスであることも示唆的です。

 サラブレッドという呼称が繰り返されているとおり、天堂真矢の両親は舞台関係者であり、特に父は舞台監督。

 現在来場者特典として配られているスタッフ本の表紙によれば、おそらく天堂真矢の父親であるテンドウ ユウイチロウ氏は華憐とひかりの観に行った戯曲:スタァライトの監督を務めていたそうです。運命の悪戯。

 天堂真矢の起源を知らないのでなんとも言いかねますが、「父が作った翼が子を殺し(かけ)た」ということも十分に考えられそうです。

 ここまでの描写から、「なぜ『皆殺しのレヴュー』で殺されなかった天堂真矢が、ロンド・ロンド・ロンドで大場ななの見た未来では死んでいたのか?」という疑問には、「人の身でありながら無理に神の器を目指そうとした末に、理想とのギャップに摩耗し死んだのだ」と回答できるのではないでしょうか。

Q.「結局、魂のレヴューってなんだったの?」

A.あんまり考えずに作品を見ていた(悪意ある表現)観客が望んだ「天堂真矢=神の器」の構図に対して、天堂真矢TOの西條クロディーヌが「いや、天堂真矢は人間だから」とマジレスするレヴューであり、それはそうとして観客の望む「『神の器』天堂真矢を引き摺り下ろす西條クロディーヌ」を存分に描いたレヴューである。

 というのが僕の感じた魂のレヴューの結論でした。

 これさあ……マジで恥ずかしいんですよね、初回の感想。何も分かってないの僕の方なんすよ。だって、見えてるものは合ってるのに文句言ってたんだから。

 僕はアニメシリーズや映画本編中の表現を通じて「天堂真矢が人である」っていうのはもはや言うまでもない事実だと考えてたので、自分を「神の器」だと称する天堂真矢にめちゃくちゃ違和感がありました。

 だけど、それを望んだのは彼女自身ではなく観客の方なんですよね。観客のことを考えていないんじゃなくて、完全無欠に「舞台少女」だったからこそ、そういう考えに至ったわけですよ。

 「テンプレートなサラブレッド」像は天堂真矢自身の中にあるものではなく、天堂真矢に着せられた「役」だったわけです。僕は初回でこれに全然気付いてなかった。

 それに気付いて初回の感想見ると、完全に道化じゃねえか! っていう……穴があったら入りたい。でも消しません、大事な感情なので。

 物語上におけるレヴューの役割をきちんとこなさせつつも、「『神』天堂真矢を『人』に降ろす西條クロディーヌ」というわかりやすくオタクの見たいものをキッチリ仕上げてくる二重の演出に完全にだまくらかされていました。完敗です。

 やっぱりレヴュースタァライトのスタッフはすげえや。

おまけ

 どうぶつしょうぎのシーンで西條クロディーヌが飲んでいた「ネクタル」。これ作中でたびたび登場していて、例えば脚本の雨宮さんが第一稿に詰まってる時の手元にもあったんですよね。

 ネクタルは「神の飲み物」ですが、その語源は「nek(死)+tar(打ち勝つ効能)」らしいです。死に打ち勝つ、なんともこの作品らしいテーマでちょっと納得しちゃいました。という余談。

終わり!

 というわけで今回は2回目で一番感想の変わった魂のレヴューについて書きました。3回目どうしようかなー、パンフ残ってるとこがあるなら是非そこに行きたいんですけどね。誰か知ってたら教えてください。では。