もの置き

てきとうに色々書きます

レッドRe:ログ Vol.11

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトを観ました

cinema.revuestarlight.com

 観ました。

 これは……劇物でしたね。ヤバい。とりあえずめちゃくちゃ良かったです。以下ネタバレアリの感想ですので未観の人で観にいく予定のある方は読まないようにね!!!!!

この映画はなんだったのか? という愚問

 ありていに言えば「愛城華憐が素直に自分の感情を見つける物語」であり、「聖翔音楽学園第99期生の卒業公演」であり、「舞台少女、ひいては現実を生きる我々人間すべてに生き方を問う作品」であり、「バカみたいにアイデアを詰め込みまくった爆弾みたいなエンターテインメント」であり…………。

 これ以上は野暮ったいだけなので切りますが、この全てが違和感なく同居し昇華された、「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」としか表現できないモノです。

 側面それぞれを羅列する以外に、どう言葉を尽くしてもいい表現が見つかりませんでした。そんな作品がありえるんですか? って自分でも思うんですけれども、ありえたんだからしょうがないよ…………。

 けっこう「なんだかよくわからなかった」って感想があって、実際比喩的な表現しかないレベルでメタファーの嵐でした。個人的には「なんとなくそれっぽく解釈していれば十分話の筋はわかるように作られててすごいなぁ」って思ったんですが、どうなんですかねそのあたり。

 個別のシーン感想に移ります。以下散文。

イントロダクション

・トマト。トマトはめちゃくちゃいろんな要素を与えられていたこの作品の象徴だけれど、多くの場合では血(命そのもの)であり、舞台少女の熱を生み出す原動力でした。この2つは密接に関連しており、熱を生み出す原動力であるトマト=血を失うことは、事実上死んだも同然である、というような描写が繰り返されていたのが印象的でした。

 ここではトマトが潰れていたものの、ここの解釈は正直あんまり固まっていない。作品を貫くテーマを予告・暗示するものかな? とは思うんですけど……。

・走るキリン。キリンが津田健次郎で良かった。

・なんか書く場所なかったので終盤に燃えてた野菜のキリンについてもここで。

 めちゃくちゃわかりやすく語られている通り、トマトは「糧」。観客のメタファーであるキリンが「糧」である野菜で構成されており、さらに燃えてるということで、観客の「観たいと思う気持ち」こそが舞台少女の熱を生み出す原動力である、ということが改めて描写されています。

 ただ、この後のラストシーンでは(僕の解釈では)「お互いへのライバル心」が原動力としてのトマトに置き換えられていたため、あくまでも「本人たちの感情」とは別の、いわば「舞台装置を動かすための燃料」としての原動力が野菜キリンなのではないかなと思います。それだけでもないかもしれんけどね。

進路指導〜寮での一幕

・個別の進路については正直よくわからないので、特に印象に残った大場ななについてだけ。僕はTVシリーズを通して「大場ななはとても愛情が大きい子」だと考えていたので、演者と裏方のどちらにも触れた、触れてしまった彼女の進路がどっちつかずになるのは、非常に「らしい」と感じた。

・花柳香子。一年前のオーディションの日々を内心で断ち切れていないのはおそらく彼女だけではなく、誰もがそうだった。

 割り切れていない感情の中にあっても前を見て、自分に相談せずに進路を決めた双葉や、それを後押ししたであろうクロディーヌを見て面白くない気分になってしまうことも、八つ当たりする自分が「一番しょうもない」と断じてしまうところも、非常に人間的で好きだ。

・不穏な大場なな。この場面では彼女の心情が一番掴みづらい。詳しくは後ほどになるものの、「皆殺しのレヴュー」の時の大場ななと「狩りのレヴュー」の時の大場ななでは役回りが似ているようで結構違うから。

 とはいえ、ロンド・ロンド・ロンドのラストシーンを見るに、基本的には「wi(l)d-screen baroque」の舞台を無理矢理にでも整える側の人間であったことは、基本的に間違いないと思っています。この辺りの解釈は正直ロロロなしでやるのは無理だと思うんですけど、どうなんでしょうね。

「皆殺しのレヴュー」

・みんな大好き「皆殺しのレヴュー」の時間だ!

・僕は「皆殺しのレヴュー」の正体はイニシエーションの一環だと考えていて、彼女たちの「過去のオーディションへの未練」であったり、「キラめきを失ってただの人に成り果てかねないような平穏」であったりを容赦無く断ち切って現実を見せる作業であり、次の舞台へと進む一歩を強制的に踏み出させるために必要な荒療治として用意されていたものだと思う。

・だからこそ、すでに過去のオーディションに拘泥せずに「次の舞台」へと進んでいた天堂真矢は殺されず、そもそもオーディションそのものへの未練は一切存在しなかった愛城華憐はここにはいないんじゃないのかな〜と。

・「オーディションじゃない」という言葉は繰り返し大場ななから発される印象的なフレーズ。同じく天堂真矢が発した「私たちはもう舞台の上」というフレーズも、切り離して考えることができない重要な要素だと思う。

 これは練習ではない。選ばれるための手段でもない。紛れもなく「本番」で、幕は上がっていて、自分からなんのために舞台に立つのかを探し、見つけなければならない段階にいるのだと、そういう意図のフレーズなのかなぁと感じた。

・この辺りは先述の「オーディションへの未練」という部分にも共鳴している。オーディションは「レヴューに勝てばトップスタァになれる」という分かりやすい手段としてのレヴューだったが、これから先にそんな機会が与えられるわけではない。自ら目的を定め、自ら手段を考え、自ら行動しなければ意味がないのだ。

機械的に台本のセリフを繰り返す大場なな。これもまた、「私たちはもう舞台の上」であることの表現の一環だろう。

・その後、何度か「自身の死体を眺める」という演出が殺された5人の心情描写として描かれている。ロロロで描かれた舞台少女の死と合わせて考えると、「現状を客観的に見て奮起させること」の暗喩である可能性は高そうだ。

・そもそも3年生で物語がスタートした時点でかなり不安だったところに「皆殺しのレヴュー」が始まり、本格的にこの物語が「過去との訣別」を描く気満々なことに気付いて、この9人で描かれるレヴュースタァライトはきっともうないんだろうなあと涙を流しかけた。

決起集会

・「皆殺しのレヴュー」に直結しているというか、答え合わせのようなシーン。

・「未完成でも前へ」、「過去を超えられるか怖いのは当たり前。それでも進んでいこう」という言葉が舞台少女たる9人以外から出た、というのが象徴的。その後の戯曲:スタァライトのセリフを読み上げているのも、この9人ではない誰か。

 ありていにいえば、これは「過去への未練や安穏とした平穏に脅かされうるのは、なにも舞台少女だけではない」ということを直接的に示したシーンだと思う。「私たちはもう舞台の上」、それは物語の主要な登場人物だけではなく、私も、そしてこれを観ているあなた自身も。

 物語要素として最重要であったラストシーンを除けば、この作品を貫く最大のテーマがここで提示されたように感じた。かなり好きなシーン。

華恋とまひるの過去

・断片的に提示された部分ではあるんですけど、構成の都合で中学生付近までまとめてやります。

・「なぜ愛城華憐は神楽ひかりを失うと空っぽになってしまうのか?」という部分の説得力を改めて補強しつつ、彼女自身の覚悟の強さ・その中で抱えていた不安などが一気に明示される重要なシーン。

 あんまり「好きなキャラ」で語りたくない作品ではあったんだけど、この回想で愛城華憐が一番好きなキャラになりました。

・いや〜〜〜こうやって物語が物語られると、弱いな……。中学生時の友達とのシーンは特に印象的で、この作品でセリフ持った男性って彼らが初めてじゃないすかね。普通に中学生やってる愛城華憐を描いてこそ、そこを断ってレッスンに行く愛城華憐の「約束にかける想い」が映える。

・あんまり意識して見てなかったんですけど、今思うと友達には神楽ひかりのこと話してなかったんだろうな。「目標に向かって一直線のすごい子」という友達からの評価と「約束をよすがにして力を振り絞っている」愛城華憐の実態のギャップを見るにそんな気がします。

怨みのレヴュー

・レヴューの時間だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーードコドコドコドコ

・一番好き。もう何から何まで好き。

・双葉を「お菓子箱」って言っちゃう香子、あまりにもあまりにもで好きだ。

デコトラが感想で語られること多いし、実際印象的だったんですけど、やっぱり何より最高なのはスナックで詰められる情けない石動双葉なんだよな。あのシーンが2人の関係を一番端的に表してるし、花柳香子のよきところだ。

・進路希望調査にチラッと映ってただけの「スイセン(=彗仙)」が口上で回収されたのがめちゃくちゃアツかった。絶対使われると思ってたので必死こいて読んでてよかった。

デコトラといえばチキンレースは当たり前だよなあ!?(そうか?) でも「清水の舞台から飛び降りる」とチキンレースを結びつける発想はバカだと思います(褒め言葉)。

・花柳香子が石動双葉に対して本当に不満だったのは「自分とは違う道に行くこと」ではなく「相談もなく進路を決めたこと」だし、このレヴューでも徹頭徹尾本音を引き出すことに注力していたのが何よりも印象的。表面上は香子が負けたような展開にはなっているものの、実際のところ試合に負けて勝負に勝ったズルい女だ。そういうとこ好きよ。

競演のレヴュー

・怖い。

・いや、マジで怖いよ。

・「皆殺しのレヴュー」の影響を一番真正面から受け止めて正しく昇華したのが露崎まひるなのが、この子の本質的な強さみたいなものが垣間見えて良い。一部(おそらく3、4割ぐらい?)は本心であったことを加味しても、レヴューの中で正しく「舞台の上」にいた数少ない子が露崎まひるなのは、示唆に富んでいる。

・神楽ひかりが落ちるシーンでクッションがクソデカポシェットだったの、最初はそれほど気にせずに見てたんだけども今思うと、このあと来る回想に華憐にチケットを渡す前、キュッとポシェットを握るシーンがあったんですよね。あのクソデカポシェットにもあの日のチケットは入っていたんだろうか。

狩りのレヴュー

・大場ななをひたすら格好良く描くレヴュー。テーマはともかく作画班は本当にそればっか考えて書いてただろ!!!!ってぐらい大場ななが死ぬほど格好良かった。

・「誰かの言葉」「私の言葉」はTV版9話のラストで解決した話だと思ってたのでこの展開になったのはちょっとびっくりした。そうなんだ〜って感じ。なのであんまりしっくりきてはないです。後退してんのかいって思ったよね。

・でももしかするとその後退が「腑抜けた星見純那」の描写だったかもしれないのでなんともいえない。むぅ。

・足で刀差し出すシーン、流石にエロすぎない? R-18+でしょこれ。

・これは"Wi(l)d"-screen baroqueなので、常に狩る側より狩られる側の方が強いのは当たり前なんですよね。より飢え、より貪欲に求める方が勝つ。それが野生の摂理だから。

・「皆殺しのレヴュー」では舞台装置として5人の舞台少女たちを等しく切り捨てていった大場なな。その後の狩りのレヴューでは役割を忘れたかのように、星見純那に喰らい付いているのが印象的だった。これはおそらく大場ななの中に残っていた「過去への未練」の残滓であったし、それを断ち切れるのは他でもない星見純那だけ。だから星見純那がこのレヴューに勝つのは運命レベルで必然なんですよね(ろくろ回しハンド)。

魂のレヴュー

・ぶっちゃけこのレヴュー、あんまり好きではないです。天堂真矢はもっと強いと思っていたので。この映画で唯一期待の下を行かれたレヴュー。

・あらゆる主役を映し出す空っぽの器? そんなもん天堂真矢にはあまりにも役不足(誤用ではない意味で)でしょ。TV版では舞台少女のひとつの到達点として描かれた天堂真矢がそんな「ありふれたサラブレッド」として描写されるのは……うーん……面白くないよね、別に。

・レヴュー終わった瞬間平然と傲岸不遜で天真爛漫ないつもの天堂真矢に戻って「あら、だってそういう役だったでしょう?」ってあっけらかんと笑ってくれるんだろうなぁって思ったら普通にエモい感じで終わって微妙な気持ちになりました。うーん…………。

・TV版ではあんまりまともに描写できなかった天堂真矢と西條クロディーヌの描写を埋めるためにはこうするしかなかったのか……? まあ勝手に天堂真矢に期待して勝手にキャラクター性を読み違えてただけなのでなんともいえないんですけど……。

・レヴューソングの最後のセリフが「美しき人 或いはそれは」に繋がるようになってるのが好き。

最後のレヴュー〜エンディング

・向かい合う2人。トマトをかじった神楽ひかりに、トマトを置いていってしまった愛城華憐。ここの対比は、ラストシーンにしたがって解釈すれば「お互いへのライバル心」の自覚の有無なんだと思います。

 神楽ひかりは露崎まひるとのレヴューでそれを自覚した。だから一人でも舞台に立てる。愛城華憐は幼い頃の約束に目が眩んで、それができなかった。だから一人では舞台に立てない。

 だから、愛城華憐は死んでしまった。

 …………なんで死んだら金属製のポジションゼロになってんの?????

・再生産!!!!!!!! 「ここで再生産来たらめちゃくちゃ気持ちいいな〜〜〜〜〜〜〜絶対来るだろうな〜〜〜〜〜〜〜」って思ってたら見事に東京タワーから落下して「アタシ再生産」。そりゃそう。だってここしかないもん。最高。

 でもじゃあ物語上なんでこのタイミングで再生産が来たのかというと……なかなか難しい…………。

 かなり飛躍した解釈にはなるんですけど、愛城華憐の最大の原動力でありつつも、ある意味では彼女自身を縛り付けていた「幼い頃の約束」が神楽ひかりの言葉によって解かれたからではないかと思うんですよね。

 「約束を破ってもいいから舞台少女・華憐に会いたい」という神楽ひかりの素直な気持ちを受け取ったからこそ、今まで心のレンズを覆い隠していたものがなくなった。

 再生産の過程で過去の自分と向き合いながら、約束の手紙までもを燃やし尽くし。

 そうやって純粋な気持ちに立ち返って、思い出したのが。

・「私もひかりに負けたくない」。

 ふたりからひとりへ。ある意味ではテレビ版に対する完全なアンチテーゼ。

 東京タワーが真っ二つに分解されたトンデモ演出も、今まで「ふたり」の象徴だった思い出の東京タワーがそれぞれのものになったと考えればまあ納得ができる……のか?

・クソデカポジションゼロに突き刺さる東京タワーはどういう感情で見ていいのか正直わからなくなりました。というかポジションゼロって概念が一番理解できてないかもしれない。

 なんだ……? 今回ポジションゼロを舞台装置で守れる描写もあったし本当に何が何だかわかんないです。ポジションゼロってなんなんだ……?

・挟むタイミングがなかったのでちょっと遡りますが、幕が剥がれる描写とともに先ほどと全く変わらない背景がその下から登場。その後の第四の壁を壊したかのようなひかり・華憐のカメラ目線と「観客」への言及は、TV版最終話のキリンを彷彿とさせる演出。

 このシーンは彼女たち二人を観ている我々を自覚させると同時に、「誰もが誰かに見られながら生きている」ことの示唆なんじゃないかとも思うんですよね。かなり拡大解釈ですが……。

・前掛けを手放した瞬間、ああ……終わってしまった……という気持ちがふつふつと……いや、卒業するのはわかってたんだけどさ……終わるのか…………。

・ED後のシーン、神楽ひかりの帰国よりも自分のオーディションを優先してる愛城華憐が、「エモ」です。あと「去れ」スタンプ再登場めっちゃくちゃ嬉しかった。

おわり!

 初見感想なのでだいぶ詰めれてないんですがこんな感じで。なんか書きながら早くも2周目で感想だいぶ変わるとこありそうだな〜と思ってます。特に天堂真矢絡みはメガネ曇ってた部分が大いにあるので、「皆殺しのレヴュー」周辺の認識とかだいぶ間違ってそうだ。

 いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 うん…………。

 すごい作品でした。なんかごちゃごちゃ書いたけど本当にあんまりよく分かってなくてもちゃんと筋は追える構成になってた。でもTVシリーズとロロロは観た方がいいと思う。

 映画作品としてはライフタイムベストを更新する最高の体験でした。オススメしてくれてありがとうフォロワー……。

 では、また2回目の感想記事でお会いしましょう。それでは。